【アドラー心理学】心が救われる心理学!アドラー心理学を徹底解説

心理学

人生に光を!ヘルメスLIFEへようこそ

世界にはユングやフロイトなど名を馳せる心理学者が存在し、世界の多くの著名人は人間の幸福についてこれまで考えてきました。

これからご紹介するアルフレッド・アドラーもその1人であり、私はアドラー心理学こそ我々の日常生活に大きな影響与えてくれる心理学である事を信じています。

我々は、「優越性の追求」という欲求を抱えており、それは、無力な状態から脱し、より向上していきたいと思う事であります。

その「優越性の追求」こそ人間の努力の源であり、成長の根元なのです。

しかし、その欲求が時には大きな悩みを抱えることもあります。

人間の根本の欲求がどう働くかによって其々の運命が変わってくるという事です。

だからこそアドラーは、その先にある対人関係においての悩みを解消し、幸福を手にする事を重要視しています。

この本記事ではアドラー心理学をより深く理解するために、三段階に分けて構成を考えました。

  1. すべての悩みは対人関係の中にある
  2. 勇気づけ
  3. 共同体感覚

我々は、仕事場や家庭内の状況に於いても対人関係の悩みを避けて通る事は難しいと言えるでしょう。

その為に、精神を病む方や、病気になる方も少なくありません。

アドラーは、生きる上で悩みを消し去るには、「宇宙の中にただ一人で生きていくしかない」と言っています。

しかし、そこには孤独だけがあると思うかもしれませんが、孤独は誰かと比較して孤独と感じるのです。

比較対象が存在しなければ、孤独も存在しません。

しかし、そんな事は現実的に不可能であり、現在の人間関係に焦点を照らして考えていくしかないのです。

人生には、仕事や友人や恋愛など様々な対人関係があり、その関係が拗れると悩みなどを抱えてしまいます。

では、どうすれば対人関係の悩みを解消できるのか、ここを最初に解説したいと思います。

次に伝える勇気づけは、アドラー心理学でかなり重要視されているポイントであります。私がここで伝えたいのは、アドラー心理学は所有心理学でなく、使用心理学であるという事です。

他者と相互依存するこの世界に、勇気づけを知らずして幸せになる事はありません。アドラー心理学は勇気づけの心理学と言えるでしょう。

そして最後に伝えるのは「共同体感覚」です。

共同体感覚は、アドラー心理学の最も誤解を招きやすいテーマの一つと言えるでしょう。この「共同体感覚」を理解できなければ、アドラー心理学は理解できません。それは、幸福なる対人関係の在り方を考える、最も重要な指針と言われるからであります。

この3つの構成要素でお伝えしていき、皆さんがよりアドラー心理学に興味を示して今後の参考にしていただけることを心から望んでいます。

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はじめに「宗教と哲学の違い」

アドラー心理学をより理解するために最初は宗教と哲学の違いをカンタンに説明します。

まず、宗教も哲学も出発点は同じです。

  • 私達はどこからきたのか
  • 何のために生まれたのか
  • どう生きれば良いのか

これらの問いから出発したものが、宗教であり、哲学であります。

その出発点は同じですが、辿った道が違います。

最大の相違点は、「物語の有無」と言えるでしょう。

宗教は物語によって世界を説明します。

つまり、神が世界を説明する物語の主人公です。

しかし、哲学は物語を退けます。

宗教はその神の教えと向き合い、真理は自己で追求するのではなく、神が教えた物語の中にあり、その物語を信じる事が信仰姿勢であります。

言うなれば、歩みを神に委ねると言っても過言ではないでしょう。

それに対して哲学は、自己で考え、自己で永遠に歩み続けるということです。哲学(philosophy)の語源であるギリシア語の「philosophia」は「知を愛する」という意味を持ちます。

つまり、哲学とは、「愛知学」であり、哲学者は「愛知者」ということです。

そして、哲学を学ぶ上で最も重要なのは、生きる態度なのです。今からお伝えしていくアドラー心理学も、使用心理学と言われるように生きる態度がかなり重要視されます。

 すべての悩みは対人関係にある

人間の最も強い欲求は承認欲求だとアドラーはいいます。

人は誰しも他者と比較し、価値基準を決めています。つまり、人が出来ることを自分が出来ないと認めたくないのは我々人間なのです。

冒頭でお伝えした、「無力な状態から脱し、より向上していきたいという欲求」である優越性の追求は、人間の根本にある完全なる欲求と言えるでしょう。

劣等コンプレックスと優越コンプレックス

優越性の追求があることにより、人は努力と成長の刺激になり、自立への近道になります。

その為、人はなんらかの理想や目標を掲げ、そこに向かって前進しています。しかし、理想に到達できていない自分に対し、まるで劣っているかのような感覚を抱きます。

例えば、プロ野球選手を目指すには、その理想の自分と今の自分を比較して、「私はまだまだ未熟だ」「もっとプロになる為に練習に励まなければならない」といった、劣等感を抱きます。

その劣等感から努力を継続して、人は成長していきます。

しかし、努力を継続しても、時には壁に打ち当たり、辛く苦しいことがあります。

その為、劣等感が強くなってしまった時に、「どうせ自分なんて」「どうせ頑張ったところで」などネガティブな思考になってしまいます。

これは単なる劣等感ではなく、アドラー心理学でいう「劣等コンプレックス」なのであります。

だからこそ、劣等感と劣等コンプレックスは分けて理解する必要があります。

言い換えれば、劣等コンプレックスは、理想の自分からの諦めとも言えるでしょう。

劣等コンプレックスに陥った人は、「私は学歴が低いから、成功できない」など劣等感をある種の言い訳に使い始めます。

健全な姿は、できない自分を認めて、それを受け入れる勇気をもって前に進む覚悟を必要とします。

ところが、劣等コンプレックスは、その劣等感をエスカレートさせていく形となりその先には、「もしも学歴が高ければ、自分は容易に成功できるのだ」と有能さを暗示するようになります。

つまり、「もしも」の話を持ち出して、努力をすることもなく「本当の私は優れているのだ」と思い込むようになります。

それが劣等コンプレックスともう一つの心理状態「優越コンプレックス」といいます。

優越コンプレックスは、あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸るようになるのです。

例えば、飲み会などでよく自慢話をする方は、むしろ自分に自信がなく、劣等感を感じている事が多いでしょう。

その劣等感を隠す為に、偽りの自分を他者に見せるのです。或いは、もう一つの優越コンプレックスのパターンもあります。

それは、不幸自慢をする人です。

自分が不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において、人の上に立とうとします。

つまり、自らの不幸を武器に、相手を支配しようとするのです。

わかりやすく例えるなら、赤ん坊は人を支配するが、支配されることはありません。

自分が弱い人間である事を自慢し、他者を支配する心理は、永遠に不幸を必要としてしまいます。

こうした「劣等コンプレックス」や「優越コンプレックス」は承認欲求から出てくる心理である事は間違いありません。

だからこそアドラー心理学では、他者から承認を求める事を否定しているのであります。承認欲求があるからこそ他者の幸福を「私の負け」であるかのように捉えてしまうから祝福できないのです。

そうした承認欲求を心に抱えていては、他者の期待を満たすためだけの人生になり、自己の人生を歩んでいるわけではありません。

つまり、アドラーは他者の期待を満たす必要はないと言っているのです。そこでアドラー心理学では、「課題の分離」を必要としています。

課題の分離とは?

我々は、自己の課題と他者の課題を切り分けて考える事が大切です。

それは、他者の課題には踏み込まず、自分の課題も踏み込ませない。対人関係のトラブルでは、他者の課題を土足で踏み込んだり、或いは、自分の課題に土足で踏み込まれたりすることによって引き起こされます。

その為に起こってくる問題に、これは誰の課題か見分ける必要があるのです。

その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰かを考えた時に、誰に向けられた課題を見分けることができます。

例えば、引きこもりになってしまった子供がその状況を抜け出すか、抜け出さないかは子供の課題であって親の課題ではありません。

しかし、親の立場なら何とか援助をしたいと思うでしょう。

しかし、誤った考えをした親は、「子どもこそ我が人生」という考えから子供を支配するという考えを持っており、子供の課題までも自分の課題だと思ってしまっています。

子供は独立した個人である為、親の思い通りにはならないですし、就職先や結婚相手も希望通りには動いてくれません。

親の課題は、その引きこもりの状況を素直に相談してくれるための日々の信頼作りが親の課題なのです。

つまり、子供を信じてあげるのも親の一つの課題です。期待や信頼に対して相手がどう動くかは他者の課題です。

他者の課題を無理に介入するからこそ関係が尚一層エスカレートする形で悪くなるのです。

人生は、他者の課題に介入する事なく、他者に介入されることなく、自分の信じる最善の道を選ぶことが大切なのです。

しかし、我々は社会的な存在として最善の道を生きていこうとする時、直面せざるをえない対人関係の3つのタスクがあります。

  • 仕事のタスク
  • 交友のタスク
  • 愛のタスク

この3つに分け、まとめて「人生のタスク」と呼んでいます。

人生のタスク

仕事のタスク

まずは「仕事のタスク」から考えていきましょう。

現代社会で仕事をする上で、1人で完結する事はありません。

そこには、お客が存在したり、共に仕事をする仲間が存在します。

最近では、在宅ワークなんかもありますが、ネット上で他者と仕事の契約をする必要があります。

つまり、他者との協力をなしに成立する仕事など存在しません。

しかし、仕事のタスクは最もハードルの低いといえます。

それは、成果という共通の目的がある為に、気が合わなくても協力せざるをえない環境にいますし、勤務時間が終わったり、転職などをすれば他人の関係に戻れます。

ここで躓いてしまったのが、ニートや引きこもりと言えるでしょう。

交友のタスク

次に「交友のタスク」とは、もっと広い意味での対人関係です。

仕事のような強制力がないだけに、踏み出すのも難しいでしょう。

多くのコミュニティーに属すと、色んな価値基準を持った方と出逢いますが、その方々とどれだけ深い関係を結べるかが重要です。

あなたには親友と呼べる相手は何人いますか?

しかし、ここで勘違いをしない為に伝えますが、友達や知り合いの数が多いのは何の価値もありません。

考えるべきなのはどれだけ関係が深いかなのです。

愛のタスク

最後は「愛のタスク」です。

この愛のタスクが最も難しいタスクといえるでしょう。

このタスクには、2つに分けて考える事ができます。

それは、恋愛関係と親子関係です。

例えば、友人関係から恋愛に発展した時、友達だと許せていた言動が許せなくなったりして束縛をしてしまう事があります。

具体的には、異性の友達と遊んでいるのが許せなかったりします。

それだけ距離も関係も深くなっているということです。

しかし、アドラーは相手を束縛する事を認めていません。

つまり、一緒にいてどこか息苦しさを感じていたり、緊張を強いられるような関係は、恋であっても愛とは呼べないと言うことです。

人は、この人と一緒にいると、とても自由に振る舞えると思えた時、愛を実感することができます。

一方の束縛とは、相手を支配しようとする心の表れであり、不信感に基づく考えでもあります。

 

この「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」と3つの段階に分けて「人生のタスク」説明しました。

我々の人生はこうした3つのタスクと常に直面して、対人関係の悩みを乗りこめていく必要があるのです。

しかし、こうした3つのタスクから逃げる行為も勇気をなくした人の証です。

アドラー心理学は、常にそうした対人関係と向き合い続けるための心理学と言えるでしょう。

そして、全ての悩みが対人関係にあるのなら、全ての幸福もまた対人関係にある事も理解しなければなりません。

次は、対人関係の悩みを乗り込める為に、次のテーマは「勇気づけ」についてお話ししようと思います。

勇気づけの心理学

アドラー心理学は、全ての悩みは対人関係という事の延長線上にあると考えていただきたいです。

今からお話しする勇気づけも、先程のテーマを理解した上でのお話となり、その悩みを解決するための課題です。

まず、アドラー心理学では、あらゆる縦の関係を否定し、横の関係を築く事を提唱しています。

縦の関係とは、上下関係の事で大抵の家族や教育現場、或いは職場など様々な場面で縦の関係を強調していますが、アドラー心理学ではそれを否定しています。

一つの子育てを例にとりましょう。

子育てで、典型的なのは、叱って育てるや褒めて育てるなどでしょう。

しかし、子育てをはじめとする他者とのコミュニケーション全般において、褒めてもいけないし、叱ってもいけない。それがアドラー心理学の立場です。

褒めても叱ってもいけない教育とは?

褒めるという行為は、「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれています。

「よくできたね」「えらいわね」などをよく使う母親など、無意識のうちに上下関係を作り、子供のことを自分よりも低く見ているのです。

人が他者を褒める時、その目的は「自分よりも能力の劣る相手を操作すること」なのです。

その褒めるなどの行為は、人間関係全般において、「縦の関係」として捉えている証拠です。

そして、劣等感とは縦の関係から生じてくる意識であり、相手を低く見ているからこそ「課題の分離」が出来ず、他者の課題に介入してしまうのです。

つまり、横の関係を築けるからこそ課題の分離ができるのであります。

こうした横の関係に基づく援助の事を、アドラー心理学では「勇気づけ」と呼んでいます。

人が課題を前に踏みとどまっているのは、能力の有無ではなく、純粋に課題に立ち向かう勇気がくじかれていることが問題なのです。

そうであれば、くじかれた勇気を取り戻すことが先決です。間違ってはいけないのは、これは褒めるというのではなく、「勇気づけ」なのです。

人は褒めることによって自分には能力がないという信念を形成して行ってしまいます。

だからこそ、最も重要な事は他者を評価しないという事なのです。

そして、「勇気づけ」に大切なのは、「課題の分離」であり、お互いの価値観が違う事を受け入れながら、対等な横の関係を築くことであり、「勇気づけ」はその先にあるアプローチになります。

勇気づけのアプローチ

人は自分には価値があると心から思えた時に、勇気を持つことができます。

つまり、「わたしは共同体にとって有益な存在なのだ」と思えた時こそ、自らの価値を実感できます。

それは、評価によって価値を与えるのではなく、純粋な感謝の言葉で勇気づけられます。

人は、感謝の言葉を聞いた時に、自らが他者に貢献できたことを知ります。

その感謝の言葉から、自らの主観によって「私は他者に貢献できている」と思えること。

その実感を与えるのが純粋な感謝であり、それこそが「勇気づけ」なのです。

他者に関心を寄せ、横の関係を築き、勇気づけのアプローチをしていくことが他者貢献に繋がってきます。

そして、アドラー心理学では、他者貢献が非常に重要なキーワードになります。

ここを理解するには、3つ目のテーマ「共同体感覚」を知る必要があるのです。

共同体感覚

全ての悩みは対人関係であるならその幸せも対人関係であり、そして対人関係のゴールこそ共同体感覚にあると言っても良いでしょう。

共同体感覚はアドラー心理学の鍵概念であり、誤解を招きやすいテーマであることを知っていただきたく思います。

その証拠に、アドラーが共同体感覚を提唱した時に、多くの人々が彼のもとを去っていったと聞きます。

それだけ理解が難しいといえるでしょう。

共同体感覚とは、他者を仲間だとおもい、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚と言います。

真っ当な考えだと思いますが、ここで問題なのは、共同体の中身です。

一般論では、家庭や学校、職場や地域社会といった枠組みですが、アドラーが提唱した共同体とは、国家や人類などを包括した全てであり、時間軸においては過去から未来までも含み、更には動植物や無生物までも含まれます。つまり、過去から未来、宇宙全体を含んだ、文字通り「すべて」が共同体なのだと提唱しています。

人を愛する技術

そして、共同体感覚とは、幸福なる対人関係のあり方を考える、最も重要な指針であります。

例えば、今「あなた」がこの文章を読んでいるのであれば、この文章を書いている「わたし」が存在し、そこには共同体が生まれています。

その「あなたとわたし」を起点に自己への執着を他者への関心に切り替えていくのです。

そして、私たちもまた宇宙という共同体の一部なのです。

つまり、自己中心的で自己への執着を強くするのではなく、他者への関心を広げ、共同体の一部であることを認識して、そこに所属感を見出していくからこそ幸福が生まれます。共同体感覚をより理解するに、人を愛する技術のことお話しします。

アドラーが、一貫して解き続けたのは、能動的な愛の技術、すなわち「他者を愛する技術」です。

しかし、他者から愛される事も難しいですが、その何倍にも愛することは難しいのです。

アドラーは、「1人で成し遂げる課題、あるいは20人で成し遂げる仕事については教育を受けているが、ふたりで成し遂げる課題はについては教育を受けていない」といいます。

例えば、寝返りさえ出来なかった赤ん坊が、2本足で立ち、歩くようになる事は「1人で成し遂げる課題」といえるでしょう。

そして、言葉を覚えてコミュニケーションをとり、或いは、哲学、数学、物理学といった学問全ては、「1人で成し遂げる課題」です。

これに対して仕事は「仲間たちと成し遂げる課題」であります。

この2つは、学校で徐々に学んでいくものでありますが、「2人で成し遂げる課題」についてはなんの教育も受けていません。

つまり、愛とは「2人で成し遂げる課題」であるとアドラーはいいます。

では、2人で何の課題に取り組むのか。

それが他者貢献であります。

アドラー心理学での幸福についての結論は、他者貢献であります。

我々はみな誰かの役に立っていると思えた時に、自らの価値を実感します。

つまり、その貢献感が、幸福があり、喜びがあります。その貢献感が「わたしの幸せ」であるならそれを突き詰めると、結果として誰かの幸せに繋がっていきます。

貢献感によって「私たちの幸せ」を築き上げるのが重要です。

「わたし」の幸せが「わたしたち」の幸せになった時に、愛が「わたし」からの解放になります。

つまり、人はみな、自分中心の世界で生きていく心を幼少期から形成されていく中で、愛によって自己中心性からの脱却をすることになります。

その脱却こそ「自立」へと繋がります。

我々は、愛によって「わたし」から解放され、自立を果たし、本当の意味で世界を受け入れるのです。「2人で成し遂げる課題」からはじまった「わたしたち」は、やがて共同体全体に、そして人類全体にまでその範囲を広げていくことになります。

その課題を愛から成し遂げるからこそ共同体感覚の意味が理解できるのです。つまり、愛することが幸せになる勇気になるということであります。

まとめ

この文章ではアドラー心理学を理解するために3つの構成に分けてお伝えしました。

人間が生きる上で必ず対人関係が存在します。

その対人関係こそ全ての悩みの根本だとアドラーはいいます。

それは、「無力な状態から脱し、より向上していきたいという欲求」である優越性の追求が人間にはあるからこそ、承認欲求が生まれ、他者と比較する事により劣等感が生まれます。

しかし、その劣等感も努力と成長の刺激になり、自立への近道になりますが、劣等感が強くなると、理想の自分からかけ離れた今の状況を見て努力を諦め、「劣等コンプレックス」になります。

その劣等感を隠すため、自慢話をして、あたかも自分が優れているように見せるもう一つの心理状態を「優越コンプレックス」といいます。

こうした「劣等コンプレックス」や「優越コンプレックス」は承認欲求から出てくる心理であり、両者のコンプレックスを持っていては、他者に承認してもらうだけの人生を歩んでしまいます。

だからこそ、アドラー心理学では、「課題の分離」を必要としています。

我々は、自己の課題と他者の課題を切り分けて考える事が必要であり、それは、他者の課題には踏み込まず、自分の課題も踏み込ませないことが「課題の分離」の重要なことだとお話ししました。

その課題の分離に必要なことが縦の関係ではなく、横の関係をを築く事を優先し、人生の3つのタスク(仕事のタスク・交友のタスク・愛のタスク)乗り越える為に2つ目のテーマである「勇気づけ」が大切であるとお話ししました。

人は自分には価値があると心から思えた時に、勇気を持つことができます。

勇気づけとは、他者の評価によって価値を与えるのではなく、純粋な感謝を伝えることによって価値を与えるのです。

人は、感謝の言葉を聞いた時に、自らが他者に貢献できたことを知り、自らの主観によって「私は他者に貢献できている」と思えることが、幸福を生みます。

そこで3つ目のテーマである「共同体感覚」の理解に繋がります。

共同体感覚とは、他者を仲間だとおもい、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚と言います。その共同体感覚を養うには、「他者を愛する技術」が必要だと伝えました。「他者を愛する技術」は「2人の成し遂げる課題」に始まり、それが他者貢献に繋がります。

貢献感によって「わたし」の幸せが「わたしたち」の幸せになった時に、愛が「わたし」からの解放になり、自己中心性から脱却をすることになります。

愛によって「わたし」から解放され、自立を果たし、本当の意味で世界を受け入れるのです。

「2人で成し遂げる課題」からはじまった「わたしたち」は、やがて共同体全体に、そして人類全体にまでその範囲を広げていくことになります。

その課題を愛から成し遂げるからこそ共同体感覚の意味が理解できるのです。

全ての悩みが対人関係にあるなら、全ての幸福も対人関係といえるでしょう。人の幸福は他者貢献にあり、それは愛によって成し遂げられる課題なのです。

何度もお伝えしましたが、ここまではアドラー心理学の序章に過ぎません。

本記事から少しでもアドラー心理学を知っていただきたいと思う事をわたしは望んでいます。

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