- なんで日本にはお寺と神社があるの?
- お寺と神社はどんな役割があるの?
- 日本はお寺と神社のどっちがメインなの?
本記事では、このような疑問に答えています。
人生に光を!ヘルメスLIFEへようこそ。
日本の文化である神社やお寺ですが、違いってわかりますか?
初詣や神社に、お葬式はお坊さんにお願いしますが、何か信仰していますか?って言われると「何にも信仰していません」って答えますよね。
じゃぁ、なぜ日本には神社やお寺がこんなにも根付いているのに、日本人は信仰をしていないっていうのでしょうか?
宗教ってなんかめんどくさそう。
なんか怖い感じだし、印象良くないし。
その考えは今思っているだけで、日本人が宗教を信仰していない理由は歴史に深く関わっているのです。
本記事では、
歴史を見ることで「お寺」と「神社」の違いを知るとともに、なぜ日本人が信仰していないのか?
ということに対しても答えています。
それでは早速いきましょ。
お寺と神社の違い
お寺も仏教も、そもそもの宗教が違います。
- お寺→仏教 仏様
- 神社→神道 神様
日本人のほとんどは、お寺も神社も両方行くっていう方は多いですが、そうなると二つの宗教があるっていうことになります。
海外はキリスト教の信仰を大切にしていたり、イスラム教の信仰を大切にしていたりと、どちらか一つの教えを指針に生きているのですが、日本の場合は宗教に対してのそもそもの価値観が違います。
お寺 | 神社 |
仏像・お墓がある | 鳥居がある |
お坊さんが住むところ | 神様が住むところ |
お坊さんがお勤め・修行する | 神主、宮司、巫女さんがお仕え |
仏像を間近で見て拝める | 神様を直接拝むことができない |
参拝の際、合掌だけ | 二礼一拍手一礼 |
上記がおもな仏教と神社の違いなのです。
比べてみると全然違うね。
では、なぜ別々の宗教が日本の文化や生活に根付いているのか?
それは日本の歴史が深く関わっているのです。
次は、日本の歴史を紐解いてみていきましょ!
お寺と神社の歴史
もともと日本には神道という宗教が根付いていました。
神道は、古事記という神話から形作られたもので日本人は古事記に出て来る神様を信じていました。
ちなみに古事記で登場する神様は、天照大神(アマテラスオオミカミ)素戔嗚(スサノオ)月詠(ツクヨミ)といった神様が登場します。
物語としては、天照大神の末裔が現在の天皇とという流れになっていまして、古事記ではここを重要視されています。
そんな中、飛鳥時代になると、
中国から日本に新しい宗教が入ってきました。これが仏教です。
当時の中国は、日本から見れば非常に進んでいる国(先進国)でありました。
そんな進んでいる国の教えなのだから、近代化を目指すためにも仏教の教えを日本に取り入れるべきだと考えた人たちがいました。
しかし、奈良時代になると神道と仏教で争いが起きてしまいます。
結果は仏教が勝利をしてしまいます。
ですが、この時に神道をなくして仏教だけを信仰するのではなく、「神道と仏教を一緒にしましょ」ということになってのです。
これを、神仏習合といいます。
この神仏習合により、神社に仏像が立ったり、お寺に鳥居が立ったりと神社と仏教に隔たりをなくそうとしたのです。
日本人が2つの宗教を混同している原因は、この神仏習合にあると多くの人は考えています。
ですがここで一つ疑問がありますよね。
宗教って別々の教えで交わることが難しいはずなのに、どうして仏教と神道は一緒になることができたのか?
海外では、交わることのできない教えだからこそ争いが絶えず起きているのです。
なぜ神道と仏教は一緒になることができたのか?
神道はとても特殊な宗教で「教えのない宗教」なのです。
普通の宗教なら、「これはやっちゃダメ!」「このように生きなさい!」というルールがあり、信仰によってその教えを守っているのです。
しかし、神道にはそんな厳しい教えは一切ありません!
さらに、神道が根付いていた頃は、文字がなかったために口頭だけで伝えられていたのです。
神道では多くの神様を信仰する「多神教」だったために仏教の仏様も信じやすかったですし、教えもないので取り入れやすかったのです。
明治維新で神道が力を取り戻す
奈良時代から江戸時代まで仏教も神道も一緒だったわけなので、かなり日本の文化として定着していたときに、本居宣長という人が、
「仏教とかは国のお偉いさん達が日本を良くしようとして取り入れた考えで、もともと日本にあった文化ではないよね。仏教を排除して日本の歴史を取り戻そう!」
と言い出したのです。
さらに平田篤胤という人が、
「仏教などを0にして、天皇を中心とした神道国家を作り、日本人のアイデンティティを取り戻そう」
と言ったのです。
これを「復古神道」と言います。
そして、西郷隆盛などがその意見に賛成して幕府を潰そうという動きが出て来るのですが大政奉還により「幕府はもう政権をにぎりません」と言ったのです。
そこから明治維新が起き、明治時代が始まるのです。
そこでできた明治政府が打ち出したのが「神仏分離」なのです。つまり、今まで根付いた仏教とお寺を切り離そうということです。
ですが、あまりにも長い時間、仏教と神社が一緒だったためになかなかうまいこといきません。
そこで動き出した神道の過激派たちが行ったことがお寺を壊していく「廃仏毀釈」というものなのです。
さらに明治政府は、「神道国教化政策」という動き、つまり神道で日本をおさめようとしたのです。
そんな、日本の歴史が急激に変わろうとする動きですが、文化は強いもので当時の日本人は受け入れられない人たちばかりだったのです。
もちろん、仏教派たちは反対運動を頻繁に起こして国教化にはなりませんでした。
そして、欧米から取り入れた「信教の自由」を保護してくださいという流れになっていったのです。
神道も国教化にはならなかったのですが、神道をベースに国を治めるという明治政府の思いは変わらずに、教育では古事記を教えていき、古事記を歴史の事実として伝えていったのです。
戦争後にどう変わったのか?
明治から大正に入ると、第一次世界大戦、第二次世界大戦と続き、欧米列強に並ぶぞという強い思いのもと日本は進んで行きました。
ですが結果は、敗戦によりGHQの支配下に入ることになります。
そこでGHQが出した指令に、「神道指令」というものが入ります。
GHQは日本という国を分析しました。
GHQは、神道をベースに進めてきたのであり、神道があるから戦争に巻き込まれていったのではないのか?というGHQの考えのもと、
「教育で古事記を読ませるのはやめなさい」と伝え、日本人と神道を完全に分離させたのです。
ですので、現代の私たちは、神道を信仰しなくなり文化だけが定着したということなのです。
おわりに
どうでしょうか?
多少難しいなって感じる部分もあったと思いますが、歴史をしっかり紐解くと現実がしっかり見えてきますよね。
歴史を学ぶ意味はここにあると私は感じます。
神社と仏教の歴史は、日本の歴史そのものだと言っても過言ではありません。
歴史の勉強から現代を見つめ、未来を見つめる癖をともにつけましょう!
別の記事で、なぜ宗教がこの世に存在するのかについて解説しています。
https://hermes-life.com/why-does-religion-exist/
あなたの人生に光を!ではまた
コメント