- 世界はなぜ滅んだのか?
- ノアとはいったい誰なのか?
- 大洪水の物語はなにを伝えたいのか?
この記事では、このような疑問に答えています。
人生に光を!ヘルメスLIFEへようこそ。
旧約聖書にはたくさんの疑問がありますよね。その中でも、私が最も注目したいのは、人類は1度滅んだという大洪水の物語なんです。
この物語は、私たちに深く考えさせられるものがあり、キリスト教を信じれない人でもすごく面白い物語となっています。
私も現にキリスト教を信じているわけではないのですが、聖書など神様に関わる物語は魅力的で現代を生きる私たちだからこそ刺さるものもあります。
違う記事では、旧約聖書から知る世界の成り立ちや男女差別の問題などの解説をしているのでそちらもご覧ください。リンクは1番最後に貼っておきます。
それでは早速いきましょう。
罪の深まり
「アダム」と「エバ」にはじまる罪の問題から、エデンの園(楽園)を追放され人間はさらに罪を深めていくことになります。
それはアダムとエバの子供であるカインとアベルによる人類最初の殺人事件や人類の悪が蔓延したために起こった大洪水の物語、そしてバベルの塔の物語がそうなんです。
バベルの塔の物語はまた別に記事で解説してますのでご覧ください。
今回は、人類の悪が蔓延した多々目に起こった大洪水の物語にスポットライトを当てて解説していきたいと思います。
大洪水の物語
アダムとエバから世代を重ねて人類は地上に増えていきました。
人類が増えるとともに人々は罪を深めていきました。盗みを働くものや私欲のために争い、血を流すものなどもいて、これを聖書では以下のように記しています。
「人間は常に悪いことばかりを心に思い測っている。神はこれを見て、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた」
神は、動物や鳥などを創造したことをひたすら後悔し、ついに大洪水を起こして地上から命を一掃することを決意します。
つまり、世の中をいったんリセットし、白紙に戻して造り替えようとしたのです。
このような大洪水の物語の背後には、チグリス・ユーフラテス川で生じた過去の大洪水の記憶が反映されています。
メソポタミアの神話にも聖書の物語に似た大洪水物語が記されています。
ノアの箱舟とは?
ここにただ1人の神が正しいと認めたノアという人物がいました。
聖書には、ノアという人物に対してこのように記されています。
ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神とともに歩んだ。
神はノアに方舟を建設させ、彼の家族と動物たちをこの船に乗せて救おうとされました。
ノアは、神から言われた通りに大きな方舟を建設して、ノアやその家族や動物たちはその方舟に入りました。
やがて、40日40夜にわたって雨が降るつづき、地上は水で覆われ、地上に住む人間たちや他の生き物は死に絶えました。
長い時間を得て水が引き、大地が渇くとノアたちは方舟から外に出て、最初に祭壇を築き、神への感謝の捧げ物を行いました。
それに対して、神はノアにこのように告げます。
「人に対して大地を呪うことは2度とするまい。人が心に思うことは、幼い時から悪いのだ。私はこの度したように、生き物をことごとく打つことは2度とすまい」
そして神は、この決意を、ノアとその子孫に対する永遠の契約、つまり全人類の約束とし、その印として雲の上に虹を置いたと伝えています。
この物語から考えられること
大洪水の物語により、人類は滅び世界はリセットされました。つまり私たち人類全ては、ノアの子孫ということであります。
神にはノアは正しい人とされていましたが、その子孫は全て正しい人になったかと言われれば、実はそうではありません。
ノアの子孫からでも罪を犯す人間たちは出てくるのです。強権、暴力、虐殺により人類は振り出しに戻りました。神は度々後悔しますが、人類を滅ぼすことはしません。
滅ぼさない約束として虹をこの世界に置いて下されたのですから。
こうして、物語を見ると神は完全無欠で全知全能ではないように見えますね。
神は繰り返す人間の罪に後悔するので、神の計画からは確実に外れているように見えます。
つまり聖書の神とは、生きた人格的存在であり、人間と世界とダイナミックに関わり続ける存在だからであります。だからこそ、人間に対して度々思いを伝え、あるいは人間との対話の中で自らの思いを変えるということが起こります。
神は暴力的なやり方で世界を終わらすことはありませんが、もしも将来に環境破壊や核兵器開発により終わりが迎えることがあれば、それは神の意思ではなく人間の責任であることを意味していると思います。
科学の発達により、人類は進化を続け世の中はますます便利になっていっています。しかし、それと同時に起こってきているのは、環境破壊と核兵器開発であり、人間の心の欲も膨れ上がってきています。
私たちは、本来の歩み方を見つめ直し破壊しあうのではなく、助け合う気持ちを持たないといけないということをこの聖書では語っているのではないでしょうか?
聖書における詰みの問題は、個々の問題だけでなく、自然やあらゆる生物や宇宙規模にまで影響するということを理解させられるのは、この物語の見つめるべきポイントであると感じます。
おわりに
人類滅亡の物語は、ユニークであり、深く考えさせられる物語であったように思います。
人間の罪は終わらないという事実に対して、心を改めようと思うのも人間それぞれの心しだいということになりますね。
神は、世界を人類に託していると言っても過言ではないでしょう。私たちの未来は私たちで築いていくということです。たとえ地球が滅んだとしても、それは私たちが欲に塗れた結果の現れだったということになります。
私たちは、どのように歩むべきなのか、なにが正しいのかを考えさせられるのがやはり聖書であると私は感じます。
旧約聖書の別の記事のリンクを貼っておきますので、よければご覧ください。
https://hermes-life.com/bible-creation/
あなたの人生に光を!ではまた
コメント