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アフガニスタンで何が起きているのか?
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タリバン政権とはどのようなグループなのか?
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アメリカとタリバン政権はどのような繋がりがあるのか?
この記事ではこのような疑問に答えています。
アフガニスタンが怖い、これから世界はどうなっていくんじゃ!
人生に光を!ヘルメスLIFEへようこそ。
アフガニスタンでタリバンが政権を掌握したといいニュースが話題になってますよね。
しかし、最近のニュースだけではタリバンとはいったいどういう組織なのかを細かく理解することができず、困惑してしまいますよね。
アフガニスタンで何が起きているのかを正しく理解するには、タリバンとは一体どういったグループなのかを知る必要があります。
つまり、タリバン政権の誕生から今までことを理解することによりニュースを正しく理解することができるようになるのです。
そのために、本記事ではタリバン政権の誕生から今までの歴史を紐解きながらわかりやすく解説しておきたいと思います。
それでは早速いきましょう。
アフガニスタンとタリバンの歴史
アフガニスタンは戦争ばかりで今はメチャクチャになっていますが、実は平和な時代もあったんです。
立憲君主制で王様がいた時代は戦争や争いもあまりない国だったんです。
平和な時代から多くの民族が住んでいまして、ウズベク人やタジク人やパシュトゥール人もいまして、みんなイスラム教を信仰していました。
そんな平和な時代も、1973年に起きた国王の弟が起こしたクーデターにより全てが変わってしまいます。
クーデターにより弟の方が大統領になってしまって、王政から共和制に変わり、ソ連の国みたいに社会主義政権の国になってしまいます。
それに強く反発したイスラム教の人たちは暴動を起こして、アフガニスタンで内紛状態になってしまうんです。
ソ連といえば、マルクスの資本論により、
「資本主義だと労働者はいつまで経っても貧しいばかりだ」
っていう主張から「労働者の国を作ろう」ということで生まれた共産主義の国ですよね。
このソ連の共産主義とイスラム教は実は水に油なんです。ソ連の中では宗教は麻薬と一緒だから、絶対信仰してはいけないというのがソ連でした。
しかし、あまりに土地は広大で人口も多かったので、ソ連の中にもイスラム教の人は何人かいたんです。
ソ連軍、アフガニスタン侵攻
この内紛でアフガニスタンではイスラム教の信仰者たちが強い力を持っていくので、ソ連としてはそれを恐れていました。
恐れている理由は、ソ連の中にいるイスラム教の人たちに影響を与えてしまい、ソ連の国中でイスラム教が暴動を起こすのではないかと気にしたソ連は、自国への影響を防ごうと考え、行った手段がアフガニスタンのイスラム教信者を軍事的に押さえつけようとしたのです。
これが1979年に起きたソ連軍アフガニスタン侵攻なのです。
それは、このアフガニスタンをソ連のいうことを聞く国にしようとしたために、イスラム教の人たちだけでなく、アフガニスタンの王様までも殺してしまっているのです。
恐ろしすぎますよね。ここからアフガニスタンの悲劇が始まっていきます。
ソ連軍VSイスラム教聖戦士(ムジャヒディン)
イスラム教の教えの中には「ジハード」という教えがあります。
ジハードとは、聖戦と言う意味で「神様のために戦う」という解釈なんですがこれは決して戦争という意味ではありません。
神様の教えのためにどんな困難でも乗り越えていくため「自分自身と戦う」という教えです。
例えば、断食をしよう、お祈りの数を増やそう、など挙げられますが正直断食も辛いですよね。
そのイスラム教の教えをもっと実践的になろうと頑張る心を「ジハード」というのです。
しかし、このソ連軍と戦うイスラム教の人たちは、「この神様の土地を守るのもジハードだ」といい、そこからジハードの解釈が土地を守るために戦うという解釈になってきたんです。
このソ連軍と戦うために集められたイスラム教聖戦士たちを別の言い方で「ムジャヒディン」と言ったりもします。
このムジャヒディンは「神様の土地を守るのもジハードだ」という主張から「これはイスラム教全体の課題だ!」と伝え周りの国々のイスラム教の若者をアフガニスタンに向かわせたりするのです。
特にサウジアラビアからは大勢の若者がアフガニスタンに駆けつけるのです。
その時に、あの「アルカイダ」の創設者であり2001年のアメリカ同時多発テロを起こしたオサマ・ビンラディンも駆けつけるのです。
この戦いに目をつけたアメリカ
ソ連軍とイスラム教聖戦士(ムジャヒディン)の戦いに目をつけた国がアメリカです。
その時代は、資本主義と共産主義の冷戦の時代だったために、この戦いでソ連の戦力を落とせるのではないかと考えたアメリカは、アメリカの最新兵器をパキスタンを通してアフガニスタンにいるイスラム教の人たちに輸送するのです。
これにより、イスラム教はかなりの戦力を蓄えたため、ソ連軍は大打撃を受けて1989年にソ連軍はアフガニスタンから撤退していきます。
この戦争は、ソ連崩壊の一つの原因ではないかと言われるくらいの戦争だったのです。
アフガニスタン内戦
アメリカは、ソ連がいなくなるとすぐに撤退していきます。
王様はソ連軍により殺されていたため、アフガニスタンをまとめるものはいません。
そこで、取り残されたムジャヒディンは、多くの民族で集まっていたために「どの民族が権力を握るのか?」という形で内戦状態になっていきます。
それぞれの民族は武器を取り「私たちの民族がリーダーシップを取るのだ!」というので長く内戦が続いてしまいます。
人はなんで争いを繰り返すのでしょう。難しい問題です。
負けた民族はパキスタンに逃げていきます。
なぜパキスタンかというと、アフガニスタンのすぐ上にはソ連があり、絶対に近づくことはできません。だから逃げるところがパキスタンしかなかったのです。
多くの難民がパキスタンに逃げ込んでくる!パキスタンはここに目をつけたんです。
パキスタンの思惑
パキスタンは、すぐ下にあるインドと戦争していますよね。
そこで後ろのアフガニスタンまでも敵国になってしまったら挟み撃ちにあうと考えたパキスタンは、アフガニスタンをパキスタンよりの国にしようと思ったのです。
アフガニスタンとパキスタンが仲良くなれば、安心してインドと戦えると思っていたのがパキスタンです。
だから、アフガニスタンに自国寄りの政権を作りたいって思い、難民に目をつけました。
この難民を教育するためにまずパキスタンにイスラム教の教育をするために学校を作るのです。
その難民の子供たちをそこで教育するのですが、この教育が極めて異質で極端なイスラム教の教えを教育したためにイスラム教過激派と導くなってしまうのです。
その学生たちを教育して、アフガニスタンに帰国させ、政権を取らせるために戦わせるのです。
このタリバンという意味は、日本語で訳すと「学生たち」っていう意味です。
タリバン政権VSアフガニスタン
パキスタンで教育された学生たち(タリバン)は、アフガニスタンで政権を取りために攻め込んでいきます。
戦いは、一瞬で終わってしまって一度1996年にアフガニスタンでタリバン政権が樹立します。
タリバン政権の統治の仕方が、イスラム教の極めて極端な解釈をしているため異質な統治の仕方をしてしまうのです。
- 娯楽の禁止
- 金曜日の公開処刑
- 女性の保護
みたいな感じです。
娯楽の禁止は、音楽を聴くことも禁止ですしイスラム教の教えの実践的なもの以外は全て禁止してしまいます。
女性の保護は、なるべく女性は家に出ないようにといい、学校に行くことも禁止してしまいます。
かなり恐ろしいというか、不自由ですよね。
タリバン政権の統治の仕方をさらに詳しく見たい方は、こちらの記事をご覧ください。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210923/k10013273691000.html
これがタリバン政権の成り立ちなのです。
湾岸戦争と同時多発テロ
今のニュースをさらにわかりやすく理解するために、かるく湾岸戦争と同時多発テロについて触れていきます。
同時多発テロを起こしたオサマ・ビンラディンはタリバン政権のもとに逃げ込むんです。それをかくまうタリバン政権をアメリカは、「テロを起こした人物をかくまうのか」という形で、2001年にアメリカアフガニスタン侵攻があるのです。
そこで一気にタリバン政権が崩壊するのです。
つまり、アメリカによりタリバン政権は一度崩壊しているのです。
オサマ・ビンラディンはなぜ同時多発テロを起こしたのか?
それは、湾岸戦争を知る必要があるのです。
湾岸戦争は、イラクがクウェートに攻め込む戦争なのです。
その時にサウジアラビアは、ウクウェートの次はサウジアラビアに攻め込むのではないかと心配してアメリカに助けを求めます。
そして、アメリカ軍はサウジアラビアに駐留して、イラクを攻撃するのですが、その時にオサマ・ビンラディンが「なぜアメリカ軍がイスラム教の聖地に足を踏み入れるのだ」と強く反発したんです。
異教徒を聖地に踏み入れるわけにはいかないとオサマ・ビンラディンはサウジアラビアの国王を強く批判するのです。それにより、国王の怒りをかってオサマ・ビンラディンはサウジアラビアから追放されるのです。
つまり、国籍を剥奪されるということなんです。
そこで、オサマ・ビンラディンが逃げ込んだのがアフガニスタンなんです!
そして、アフガニスタンに止まったオサマ・ビンラディンは「アメリカ許さない」という思いで起こしたのが、設立したのが「アルカイダ」国際テロ組織であり、2001年9月11日同時多発テロを起こしたんです。
ここでアメリカは、同時多発テロを起こしたオサマ・ビンラディンを殺すためにアフガニスタンに侵攻し、タリバン政権を崩壊させるのです。
アメリカに滅ぼされたその後のタリバンの動き
アメリカに攻撃され、散り散りになったタリバンは、少しづつ戦いを続けて戦力を伸ばしていたんです。
アメリカ軍がアフガニスタンに軍を引かせる時を狙って。
そして20年の時がたった今、アメリカ軍はアフガニスタンから全軍撤退すると表明し、全軍がいなくなった途端タリバンは一挙にアフガニスタンに駆け寄り、政権を獲得するのです!
これが今騒がせているニュースの全貌です!!
おわりに
今のニュースをより理解できるようにアフガニスタンとタリバンを歴史から紐解いて説明しました。
あなたにとって「そうだったのか」の連続だったのではないでしょうか。
今後のタリバン政権の動きがすごく気になるのですが、一番怖いのは中国と手を組んでアメリカに復讐する動きが出てくるのが怖いですよね。
これからどうなるかわからないですが、現代のニュースをしっかりと理解して事実を知ることが重要です。
今後の動きに注目しながら、ニュースを見てください。
知識はあなたの武器になります!
あなたの人生に光を!ではまた
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